【過去記事】娘にさわった日。
今日は、朝から遅刻しそうなタイミングで言うことをきかない、動かない子供を叱ってしまい、落ち込んでいる。
なぜもっとおおらかになれないのか。
これからも
ちいさな反省をいつも繰り返すんだろうけど、
この時のこんな気持ちを絶対に忘れちゃいけないな…
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2015/12/26
初めて保育器の中に手を入れて、
娘に触れた。
暖かく柔らかく、
ふにゃふにゃで頼りなく、
めちゃめちゃ泣いていてオロオロしながら撫でた。
そのうち落ち着いてきて、目が開いたところを初めて見れた。
あまりに目が澄んでいて、
圧倒的な尊さを感じた。
言葉にならないこみあげる感情がきて、涙が出た。
本当に本当に可愛かった。
産声を聞けたとき安堵で泣けたけれど、初めてみた我が子は苦しそうな紫色のしわくちゃで、正直動揺してしまった。
そのあと手術室から戻って見た保育器の中の我が子は、苦しそうで浮腫んでいて、私にも夫にも似ていなくて。
ドラマや漫画であるように、ひとめ見て愛情爆発とはならなかった。
不安や戸惑いが先に来てしまった。
それが、大きくショックだった。
急遽の手術、混乱したまま1時間で出産。子は生まれた時に肺に穴が空き、NICUがある病院に転院するかもと言われ、私も夫も矢継ぎ早の事態に気持ちがついていかなかったように思う。
長い分娩をふたりで乗り越え、赤ちゃんの誕生を目の当たりにし、カンガルーケアして赤ちゃんに涙する…っていうのを想像していたのに。
顛末は急激に、全く違うものになった。
自己弁護するわけではないけど、
致し方ない部分もあったかなと思う。
私も夫も、まだ立派な親なんかではないということだ。
ただの人間の反応として、ごく普通の
ものなのかもしれない。
10か月お腹で育てた私でさえそうだから、妊娠中からいつも見ているだけの夫はもっと複雑だったろう。
でも、親にはこれからなるんだと、
この子に触れたこの日強く思った。
この子が私たちを親にしてくれるんだと思った。
お腹にいる時からずっと、本当に人間がいるのかな?となにか信じられない気持ちがあった。もちろん、とても大事に思っていたけど、生まれてからの姿が想像できず、その子と一体どんな毎日を過ごすのかも、想像に難かった。
出産してみて。
愛情とは、
どんな姿をしていて、どんな感触なのか、対象物を五感で認識してからの発生となるような気がした。
また、それを許容する精神状態も関係するように思った。ある意味後天的に備わるというか、なにかメカニズムを感じた。
だけど…
やっとこの子に触れられて、途端に訳もなく発生する愛情を感じた。
お腹のなかで苦しかったのに、
生まれて肺も破けてしまったのに、
一生懸命頑張ってくれた。
もしかしたら発育が止まってると言われた段階から苦しかったのかもしれない。でも生きてくれた。
本当に生まれてくれてありがとう。
苦しませてごめん。戸惑ったりしてごめんね。
全力でこの子を守ろう。
仕草のすべてが可愛くて仕方ない。
この子じゃないと嫌だと思った。
可愛くて可愛くて、申し訳なくて、病室に戻ってひとり、号泣してしまった。
はやく抱っこしたいな。
夫も、その手で触れてから始まるんだと思う。
この子とのこれからの時間がその愛情を増長させる。
子への愛情発生段階はもちろんここに書いた限りではなく、親の数だけ分かれるんだと思う。夫婦も足並みが揃う訳じゃない。でも確実に、すべての親にとって子供は特別な存在だと思う。
わたしの宝物が生まれてきた。
本当に神様に感謝します。